陶器の歴史について(唐津焼編)
唐津焼は佐賀県東部から長崎県の北部にかけて製造されている陶器で、日常生活で使われる雑器から茶の湯で使われる茶器まで幅広く作られています。唐津焼の茶碗は茶の湯の世界では「一楽二萩三唐津」と称されるほど名高く、分派である武雄の古唐津焼とともに伝統工芸品に指定されています。
その歴史は安土桃山時代までにさかのぼります。
従来、唐津や伊万里をはじめとする九州北部の陶磁器は豊臣秀吉による文禄・慶長の役の際に朝鮮半島の陶工たちが同行し祖国の作陶技術を九州に伝えた、というのが定説でした。しかし、窯跡の調査や堺などの陶磁器が使用された地での発掘調査から唐津焼の創始は文禄・慶長の役より少し早い1580年代までさかのぼるとされています。
長崎県壱岐市の神社である聖母宮に所蔵されている黒釉四耳壺には天正20年(1592年)の銘があり、銘のある唐津焼の作品の中では最古とされています。そのため、遅くとも1591年(天正19年)までには唐津焼の生産が始まっていたものと思われます。唐津焼草創期には食器や甕などの日常の雑器が主流でしたが、唐津焼の特色である素朴さと詫び寂びの精神から茶器や皿、鉢が好まれるようになりました。また、唐津焼は京都や大坂まで流通していたため、西日本では「からつもの」が陶磁器を指す言葉になるまでになっています。
特に桃山時代には茶器の名品として知られるようになり、先述した「一楽二萩三唐津」とまで並び称されるまでになりました。